日本の岬14 島根県日御碕(ひのみさき)

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5月29日、月曜日。まだほど良い気温で晴天が続いている。

梅雨入り前の大事な晴天。

開業11年目がすぐそこになった。

よく10年、年金ももらってなかったのに続いたよなと思う。


日本の岬14 島根県日御碕

鹿児島から一気に北上し島根県。

九州西海岸も幾度となく行ったけど、岬なるものには行った覚えがない。

地図で見れば一目瞭然だけど、九州西海岸は天草や長崎九十九島

など大小の島々が連なり、目立つ岬がほとんどない。


日御碕に行ったのは、鹿児島高専の2年生から3年に進級する春休み。

鹿児島から外には修学旅行でくらいしか行ったことがなく、違う土地に

行きたくて行きたくて・・・わずかのお小遣いで、確か中国地方周遊券

を買い、寝袋持参で野営覚悟で行った。

ユースホステル、大学の寮(九大)、駅(益田)、キリスト教会(米子)など

に宿泊して全部で1週間くらいだった。

出雲大社に行ったあとで、日御碕に行った。

3月だから、海の向こうに大山が雪をかぶり大変きれいだった。

私の田舎で見える開聞岳もきれいだけど、標高924メートルだから

冠雪はほぼ見ない。


大阪駅で、電車に乗ろうと改札に入る直前でお財布を拾った。

すぐ目の前にいた男性のものだと思い、「これ落としませんでした?」

と聞いたら、その男性が微妙な顔をして手にしたのをいまだに覚えて

いる。

渡すべきではなかったのかも・・・と今でも思う。


鹿児島に帰り、母親から「これ使え」ともらっていた1万円を、「使わ

なかったから」と返還した。


ヒトって、金はなくてもああやって生きれるんだ・・

と、1万円をあっという間に使うようになってしまった今の自分を

嘆いている。


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日本の岬13 薩摩半島坊岬と野間岬

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5月26日、金曜日。ここ何日か大雨ではないけどしとしと雨が続いた。

30度近くまであがっていた気温も、今日はせいぜい20度くらいで、

少し肌寒いほどだ。

明日から気持ちの良い晴天が続くらしい。

朝わりと早く、上海の近くから若い女性と、同年齢くらいの英国人男性

が事務所にいらした。

私が今まで接した中国人女性は、多くが日本語を流ちょうに、あるいは

少し話す方がほとんどだった。

今日いらした女性は、英語が流ちょう、かつ文章もうまい。

英国人男性と一緒にいらしたから、ようやくその訳が分かった。

仕事そのものは、1時間あまりで終わった。

これから東京、大阪などを観光するのだという。


日本の岬13 薩摩半島坊岬と野間岬

薩摩半島南岸を西に向かうと、南側の端に坊岬がある。

ここは天然の良港となっており、中世に「倭寇」の出港基地となって

いた場所のひとつ。

なるほどな・・と一目で分かる天然の湾だ。

ここは私の田舎(南九州市)から陸路で15キロか20キロほどしか

ない。ただし、枕崎から先はアップダウンの激しい狭い道だ。

私が小学生のころ、007の映画の舞台となり、ロケのために多くの

クルマが当時のボコボコ道の国道226号線を坊岬に向かうのを

この目でみた。

浜美枝が出演した映画。

確か「戦車」のようなクルマも通過した。

「007は二度死ぬ」だ。

倭寇の出港基地だったと聞いて、中国の太平洋岸などを荒らし

まわり女性もたくさん誘拐してきたらしいから、その近くで生まれ

育った私は「自分にもいくらかそのDNAがあるのかもなあ」と、

数百年も経った今ではほとんど関係ないけど、昔から思い続け

ている。


野間岬は、その坊岬から北西に向かう。

枕崎・坊津間よりもさらに道は狭くなり、アップダウンも激しい。

途中に奈良時代、遣唐使が唐に渡っていたころ、唐からやってきた

仏僧、鑑真が何度も失敗してもあきらめずについに日本上陸を

果たした「秋目」という集落があり、記念館もある。

その少し前の「久慈」という寒村は、玉川大学創始者の小原 國芳

というお方の生まれ育ったところ。

そのためか、玉川大学の施設が近くにある。

こんな寒村出身(私もそうだ)なのに、すっごい人が出たもんだ・・

と感心せずにはいられない。


秋目を過ぎて、途中ほぼ何もない狭い道を行くと、突き当たった

岬が野間岬。

ここには野間池という海とつながった漁港がある。

今までの多くの岬と違い、断崖などはない。穏やかな岬だ。

ここは「薩摩甘えび」を獲る漁船の母港。

港のそばに、直売している唯一のお店がある。

日本海や北海道などで獲れる甘えびよりも一回り大きく食べ

やすい。

ここで5キロ?だったか買い、宅配便で息子に送ったのは、

もう3年以上も前。


年齢を重ねると、1年1年が過ぎゆくのが本当に早い。



宣誓書の英文翻訳認証とそれらの公証人アポスティーユ

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5月23日。何日か前から気温が30度近くにもなり、真夏が近づいた。

昨日までスーツを着ていたけど、みんながクールビズやってるのに・・

と思い、今日から私も上着をやめた。

リストラされたおじさんみたいで、「ネクタイ作ったり売る人たち困る

だろうな」と思うけど、これ(クール)は確かもう13年くらい続いている。

ネクタイをはずしてみると、やはりだいぶ涼しい。

しかし、なんだかしまりがない気がする。

「これで日本はいつまでたっても上昇しないんでは」と、今でも思う。


ある大きな会社から、医師免許の英文翻訳認証アポスティーユ代行

の仕事、北海道の方から中欧のある国の弁護士事務所に送る

「私は妻と子供たちが・・・で暮らすことに同意します」という宣誓書

のアポスティーユ代行のご依頼がきた。

はて、どこに頼んだらいいのだろう?

北海道の方は、あちこち聞いても「何ですかそれ」と逆に聞かれ

困り果てていたらしい。

かつ「かなりに急ぎ」のご依頼だった。

もう10年このような仕事をかなりたくさん依頼されやってきたから、

「はい。公証役場では、こうやってこうやります。委任状や宣誓書

などはこうやります。たぶん大丈夫でしょう。何より、まず印鑑証明書

を今日中にもらっておいてください。そうでないと間に合わない」

などと答え、昨日の月曜日に公証役場でそれらを見せたら一発

OKだった。

お客様が急いでいるのだから、特急料金もらってもいいのかも・・

などとも思うけど、私はそんなことやったことない。


そんな折、中国のある若い女性から英語でお問合せがあり、その件

で近くわざわざ日本に、私の事務所に来られることになった。

「なんでわざわざ日本なのですか」と聞いたけど、中国ではどの法律

事務所もやってくれないらしい。

かなりっていうか、要点分かっておればどうってことない仕事なのに・・

と思うけど、相手はどうしても日本に来られるという。

それでも断るわけにもいかない。

引き受けた。

ただし、いかがわしいとか法に触れる、そんな案件ではありません。

ほんのちょっと頭ひねるだけなのになあ・・と思う。


ここんとこ中国を直接相手にした仕事はなかったなあ・・

開業してから数年間は中国がすっごく多かった。

実際、仕事で北京、山東省の田舎、大連、河南省、上海、深圳・・・

と数回も行きまくっていたよなあ・・と懐かしい。




蘇州 刺繍 縮小

闘志燃え盛る若いうちにアメリカに戻ると言った息子

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5月20日。日本全国晴れという珍しい日で土曜日。

こういう日に東京オリンピック2020が開かれたらなあ。

朝早く起き、選択を繰り返して、敷布団、掛け布団、それらのカバー

などなどを洗濯し2階のベランダに干した。

干す場所は2ケ所ある。

2階に4室あるけど、南側に面した3室の両端の部屋にベランダが

ある。

そこに干す。

その南側は遊休農地だから、日当たり抜群だ。

今のような夏日だと、朝日が差してから3時間ほど干せば乾く。

かつて(この家に越してきたころ)は、週末になると駅前の魚屋さんで

1尾100円とかのアジなどをたくさん買い、干物開きにしてもらい

30~60分、お魚が沈むか浮くか程度の非常に濃い塩水に浸す。

それを2階のベランダにおよそ1日(日照時間だけ)で完成、だった。


そんなことも、今の家(1戸建)だったからやれたこと。

都会での近所づきあいほど難しいものはない。

一方的にあげるくらいなら「何もあげないほうがまし」だ。


さて、鹿児島によく帰っていたころ、よおく覚えているのは10年くらい前。

母親が今どうなのか・

それさえ分からないから、私はおびえていた。

長男(兄はもう死んでいていなかった)である私が知らないのに、・・・・

そんな状態が何年も続いた。

しかし、何も言えない。

母親が人質だったから。


役所にまだ勤めていたころ、屋久島に行った。

湯原さんも一緒。確か15年?くらい前だ。

問題の彼も、みんな一緒だった。

兄弟仲良くやれた。

そう思っていた。

私には当たり前。

その頃、私は毎年年末年始とかに鹿児島に帰った。

ついでに屋久島にも行ったことがある。

母親は、「ほう。屋久島に行ったのか。これが屋久島の野菜かあ。

おいしそうだな。お前ゆでるんか。そうか。楽しみだな。

でも、ゆでるときは塩も一緒にしろよ」と確かに言った。

そうした。

おそらく調理の基本のキ!なのだろう。

どんな野菜だったかは忘れた。

「あしたば」ではない。

母親は、肯定した言葉しか使わなかった。

頭からダメ出しなどしなかった。

これが一番なのだ。

「おいしいかどうかは食べてみなきゃあ分からんもん」とも言った。


その後、7年くらい前にK君と一緒に鹿児島に行き、屋久島にも行き、

その高速フェリーで鹿児島が見えたとき私はボロボロ泣いていた。

「母親に会える。どうしているんだろう?」たったそれだけで泣いていた。


何も知らなかった、ただ「母親は施設にいる」しか知らなかった。

K君が、「オカムラさんのその気持ち、誰でも分かるけど、それを本気で

涙できるヒトってなかなかいないですよ」と確か言われた。

私は、「他人様には決して分からない。誰がどう思おうがいい」と思っていた。


鹿児島から電話が来たときは「とんでもない悪い知らせ」だった。

だから着信番号見た瞬間に震え上がった。


そんなことも、今は昔。

もう「他人様」だ。

好きなようにお互い生きればいい。

私は何もしない。

壊れた過去は決して戻らない。



ドイツから贈られた菩提樹

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5月16日。今日もかなり曇り模様で最高気温20度くらい。

お昼をいただこうと駅前に行き、天ぷら屋さんに行った帰り

駅前の喫煙場所でいっぷく。

青々茂っている1本の木が気になった。

確か以前から気づいてはいたけど、ドイツから贈られた菩提樹だ。

平成5年に日本から桜の苗木を贈り、その返礼として平成11年

に贈られたものだという。

日本に来てもう24年になり結構な枝ぶりだ。

喫煙場所ではあるけど、駅前の一等地。


2年前の今頃、私はフランスにいた。

その所用を済ませたあと、たちまちオランダに行き、ドイツにも

行った。

ドイツでは、フランクフルトに2泊し昼間は電車であちこちに。

ドイツ新幹線に乗り、デュッセルドルフに行った。

駅前からトボトボ歩いていたら大きな公園に入り、中で男性と

小さな男の子が2人で遊んでいた。

日曜日?だったから、「離婚しちゃってたまの面会かなあ」と。

お母さんはお仕事だったかもね。

ハイデルベルクにも速くない電車で行った。

鈍行だから、帰りには缶ビールを飲みながら外の景色を

眺めていた。

「どの気がタンネンバウム(菩提樹)だろう?」とか、高専の

ころ政所先生に教えてもらったドイツ語の歌を思い出しな

がら、「センセイお元気かな?、息子やしーちゃんと来たい

けど、一生そんなことないだろなあ・・」と確か思っていた。


でも行きたいなあ。


ハイデルベルグで孫に買ったお人形です。


日本の岬12 薩摩半島長崎鼻と開聞岬

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5月15日。月曜日。どんより曇りちょうどいい気温20度くらい。

NPO国際結婚協会に来ていたメールで、南九州のあるお方に

土曜日の夜、電話で返答したら、ご丁寧なお礼のメールがきた。

同郷とかだとつい肩入れしたくなる。

まあ自然なことだろと私は思う。


日本の岬12 鹿児島県薩摩半島長崎鼻と開聞岬

ここは私の故郷そのもののようなもの。

子どものころから開聞岳を見て育ったし、指宿枕崎線でちょっと

乗れば行ける。そんな身近な存在だ。

長崎鼻は、指宿と開聞の中間ぐらいにある少し突き出した岬。

強烈な印象があるのは、私が小学校高学年のころ、母の妹で

いまだ大阪でご健在のおばちゃまが家族連れで帰省したとき

に一緒に行った。

当時は、それこそ新婚旅行客などでたくさんの観光客が来て

いた。

猿回しをやっており、極めて珍しかったからじーっと見ていた。

今はどうなっているのだろう、あの公園。

すぐ近くの「日帰り温泉5年連続日本一」の「玉手箱温泉」には

しょっちゅう行ったけど、長崎鼻公園にはもう何十年も行ってない。

開聞岬は、山の西側にある道路でクルマで5分くらい。

開聞岳が目の前にあり、海岸に溶岩が届いてゴツゴツした赤い

岩(だったかな)が海辺にごろごろ転がっている。

戦時中には、南方戦線フィリピンなどに送られた兵士たちの家族

が遠方の兵士の無事を祈って日本全国から大挙してこの開聞岬に

やってきたそうで、この岬に至る道沿いに多くの石灯籠が並んで

いる。

素晴らしい景色なのだけど、そういう歴史もあった。

知覧の特攻基地も割と近くにある。

特攻出撃の兵士たちは、この開聞岳を必ず見ている。


戦争中には、グラマンがやってきて畑仕事をしていた母親たち

に機銃掃射を浴びせたこともあったそうだ。

どんなにか怖かったことだろうと、今でもぞっとする。

母のいなくなった母の日

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5月14日。少し雲が多いけど、暑くもなく寒くもない日曜日。


今日は母の日。

昨年7月に母が亡くなったから、生まれて初めての母のいない母の日。

97歳まで生きてくれたから、十分感謝すべきなのだけど、喪失感は

自分がそうならないと分からないものだと痛感している。

「なぜそんなに嘆き悲しむのか」と、私よりずっと前に母を亡くした

知人に言われたことがある。

知人の母は自宅療養でかつ在宅介護で疲れ果てていたから、

そう思うのかも知れない。

幸いなのだろうけど、私の母は10年ほど前から鹿児島市内の

充実した設備とスタッフのいる有料介護施設にいたから、子である

私たちが介護の苦労やオヤジ殿が残してくれた軍人恩給遺族給付

などでおカネの心配もしなくてよかった。

たぶんそれが決定的な違いかも知れないけど、そういうものでも

少なくとも私は違った。

生きる頑張るための生きがいのような存在だった。

それほどに子どもの頃から十分大事に育ててくれたし、思春期のころ

ひと様には言えない苦労もかけた。

何しろ東京に出てきた昭和49年から、鹿児島に帰ることは極めて

少なく、1年に1回か2年に1回。

それでも、たまに帰ると本当にうれしそうだった。

父親を同時期に亡くしたから、余計に母への思いは強かった。


施設に入ったあとの母の日は、田舎の知り合いの花屋さんに電話

してカーネーションを届けてもらっていた。

「もう意味さえ分からなくなっているな」と感じた何年か前からは、

施設のお医者さん(マサトという)に「認知症を治すことはできない

けど進行を遅らせることはできる。それは、あなたのように家族が

可能な限り会いに来ることだ」と言われ、かなりの頻度で帰省した。

誰に何と言われようが、私の母であり、何より大事な存在だった。


亡くしたあとに輪をかけるようにいくつもの悲しみが私にいっぺんに

押し寄せてきた。

でも、もういやなことは思い出さない。

黒板の字を消すように、いらだっってきたらラーフルで消す。

消す。

何もなかったんだ、消す。


母の代わりに、今ひとりだけ生きている母の妹にカーネーション

じゃなくとらやの羊羹を送った。

そう、心配してくれるヒトを大事にすればいい。


消して。

消して。



2010年6月20日。母の91歳の誕生日。


90歳の誕生日のおふくろと私です

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